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​AZUSA

​映像マネージャー

​趣味

​映画/映像制作

​生年月日

1998年1月19日生まれ

自己紹介

◆幼少期〜大学時代

3歳上の姉と、17歳上の姉を持つ、3姉妹の末っ子です

 

小学生時代は、可愛い格好をするより、小さい時から男の子に混ざってサッカーなどしていました。

自由奔放・好奇心旺盛・天真爛漫な女の子でした

 

中学受験をして、中学高校は私立の女子校に進学し、吹奏楽部に6年間所属しました。

 

小さい頃から音楽が好きで、コンサートによく行っていました。

サザンオールスターズ・BIGIN・さだまさしなどの大御所から、ジャニーズ・avex・ライブハウスなど幅広く音楽に触れる機会が多くありました。

 

多様なジャンルの音楽に触れて、「なんでコンサートはこんなに楽しいんだろう?」と疑問を抱いたんです。

 

そこで、聴覚と視覚からの効果や人を楽しませるには何があるのかを学ぶことを決めました。

 

進学先は、映画制作のできる大学へ

 

日本大学藝術学部映画学科撮影録音コースに進学します。

在学の4年間は、映画制作・ミュージカル制作・ダンス・コーヒーなど、経験値を上げることが最重要!と思い、時間のある限り存分に使って過ごしていました。

いざ、就活時には、「やりたいことはたくさんやってきたけど、

働く(=世の中に貢献できるくらいの力を提供すること)は全く想像がつかない!」という状況だったため、たくさん苦労しました。

結果的に、学部で学んできた映画制作の経験を活かして、映画館設計を目指しました。

そして、晴れて建築音響の施工管理会社に入社が確定しました。

 

好きだった業界への入社。

一番楽しかったことは、誰もが知っている有名人に関わる仕事ができたことです。

一番苦労したことは、”勉強”が大嫌いな私にとっては、就活時の試験も入社後の研修でも、

同僚との学力の差が歴然だったため、何倍も努力が必要だったことです。

 

さらに、コロナの蔓延し始めた頃に入社したため、社員に会ったことがありませんでした、そのため、同僚や上司の顔を認識していない状態で研修をしていました。笑

10月の本配属時に向けた希望調査で、とある部署を申請しましたが、意思は通らず上司の決定に基づいて仕事内容が決まりました。

◆本当にこのままでいいのかな?と思った配属先

配属になったのは、企画室。

老舗の新卒から企画室への配属は初めてだったため、部署のおじさま方に可愛がっていただいていたため、最初のうちは楽しんで仕事をしていましたが、徐々に今後の生活について考え始めました。

「このまま世代が違う人たちと仕事をし続けていいのかな。理想とする女性の先輩がいないな。。」

と、どんな仕事スタイルを選択するか考え始めたのもこの頃です。

本配属の半年後、コロナ禍の打撃を受けて人手不足になっていた施工管理の現場への兼任辞令が出ましたが、同給料で仕事量を倍にすることは難しいと感じたため、退職をしました。

 

2回の転職を経て、年収を上げる。

2社目は、ベンチャーの会社でITコンサルに就職!

友人の友人が会社のリーダーとして働いていたため、リファラル採用で就職。

その当時は、仕事にブランクを空けると生活資金がなくなってしまうため、

「なんでもやります」と伝えた記憶を鮮明に覚えています。笑

 

たまたまIT関係の仕事についたことから、未経験でも勉強をしながら業務をすることができました!

転職=給料UPと思っていた私。甘かったですね。実際には月2-3万、年で150万下がったため、ベースアップするために次の転職先を考え始めました!

 

会社員とフリーランスの違いを知った私は、2社目の退職後、フリーランスとしてIT大手会社からの業務委託を受けるようにしました!

業務内容は、IT商材の法人営業!2社目でやっていた、IT商材に関する新規事業立ち上げ経験を生かして仕事ができたので、月10万UPしました♪

 

この記事を読んでいただいた皆様が、一つでもきっかけを得られるように、

たくさん発信していきます!!

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